発言1:「Wの悲劇」浅川澄一(ジャーナリスト)

 中澤● 次に4人の方に順番に問題提起をしていただきます。最初はジャーナリストの浅川澄一さんですね。タイトルは「Wの悲劇」。何がWなのかということも含めて、自立支援の問題点を話していただきます。この意見交換会の直前に開かれた、「第1回国際アジア健康構想協議会」のお話も出るのではないかと思います。では、よろしくお願いします。

 

浅川●こんばんは。浅川です。わずか10分間なので超ハイスピードでないと話せないのですが、結論は簡単です。今、自立支援介護、それから介護予防の名の下に、3つのグループが形成されて、次の介護保険の制度改定の中で、このグループの意向が反映されつつあるという問題が発生しています。

 

先ほど、三原さんが最後にふれたのは、「奨励金グループ」のことです。品川区がいちばん顕著で、要介護4の人が3になったら、1ランク下げたら2万円上げますということで、品川区では既に3年前から報奨金制度を始めています。これが奨励介護です。

 

今日のタイトルの「W」はもちろん和光市のことで、「介護保険を卒業することはいいことだ」というとんでもないことを言い出しています。この『介護保険を卒業できる理由』という本では監修が某部長になっているので、これはもう、和光市の政策そのものです。どういうことかというと、自立支援介護よりも、介護予防と言って、要介護認定率が下がることがいいことだという結論が一人歩きしている。

 

これに対して、厚労省と財務省は、介護保険諸費を削減させることになるからいいことだ、と言っているわけですね。それから、今、中澤さんがいわれたもう1つの中央のグループ。これがいちばん勢力的には大きいですね。なにしろ今日は大臣は来なかったけれども、国をあげて、官民あげての大政策が今、進行中です。名付けて「アジアへの輸出グループ」です。

 

これを主導しているのは「未来投資会議」という内閣官房が組織し、もともと自民党の武見某議員が推奨したグループです。アジアでは20年後に高齢者がどっと増える。だから、日本のすばらしい介護をアジアの国々に大産業として輸出しようと。そうすれば安倍首相が言っているGDP600兆円も可能になるという壮大なイメージで語られつつあります。この主導者について説明すると時間がかかりますけれども、これについては、「No!」という事件が起きました。

 

今日も来られていますけれども、この未来投資会議のヒアリングの席上、あの全国老施協がとんでもないことだと。要介護度が軽くなるような人に報奨金(インセンティブ)を出すのはともかくとして、介護度が下がった人をディスインセンティブとして、その人たちは減算措置をする、というような意見が未来投資会議の中で出て、これに対して、老施協が抗議文を突きつけました。

 

今日はそこに至る過程をお話ししましょう。まず、今日の私の主題は、Wの悲劇です。W市は一生懸命、要介護度をきめ細かくやった。きめ細かくやるのは非常にいいことなのですよ。その結果として、何と全国の要介護度率の半分、約9%になった。大成功だろうと。これこそが輸出産業の人たちが、いちばん誇りに思う日本式介護の結論なのですね。このようにしていい介護をやれば、要介護認定率が下がるということを言いたいわけです。これが和光市の概要です。 

 

W市では介護保険は卒業すればするほどいいことなのだということになっていますがこんなことをいわれたら、W市の住民は介護保険を使うことが悪いことだと思ってしまう。卒業、卒業のオンパレードでございます。ここのケアマネは大変苦労しています。本の中にも書いてあるのですが、利用者が最初に市役所に相談しにいくと、普通はケアマネ一覧表を渡されるのですが、W市では中身を相談して、ケアマネを紹介する。それから、ケアプランを市が全面的にチェックする。

 

そして短期目標、長期目標が達成されていないと、なぜかということをサービス担当者会議で言われる。最後の問題は、地域ケア会議で集中砲火を浴びて、管理栄養士とか、いろいろな人たちの中で、市の職員から「おまえのところのケアプランは何じゃい」というようにして、さんざんこきおろされて、行政主導型のケアプランがつくられる。ケアマネの独立性、専門性は一体何なの? という疑問が周辺では起きています。

 

図の赤のところがW市のもので、食事だとか運動などをしない60代、70代の人をちょっと手助けしてあげれば、たしかに一時的には回復する。しかし、下り坂になると介護保険のお世話になります。W市では介護保険を卒業といって、もう戻ってくるなといわんばかりですから、これは疑問です。

 

しかし、この本をよく読むと、介護保険を卒業するのではないのですね。先ほどのケア会議の対象になるのは要支援者です。つまり要支援者をできるだけ卒業させたいというのが本題であろうと思います。しかしこの影響は大きくて、例えば大東市も同じようなプランをつくって、全国や大阪府に比べて要介護認定率が下がったと言っています。

 

確かに和光市は独自財源を使ってきめ細かいサービスを提供している。それ自体は悪いことではないのですけれども、結果として要介護度認定率が下がれば下がるほどいいことだと、おまけに要支援者の4割は卒業したのだという言葉がひとり歩きをする。そうすると、ほかの自治体も皆同じように、要介護認定率を下げることが目標になってくる。これは岡山県総社市ですが、全国に波及するということになるわけです。

 

ところが、これはまだまだかわいいのですけれども、奈良県と奈良市では何と、自治体が独自で奨励金を出した。つまり、要介護度が軽くなったとか、いろいろな研修をやったとかですが、それがいちばん顕著なのが品川区の事例です。

 

もう1つの「輸出グループ」ですが、未来投資会議の中でここ3回ぐらい会議がありました。これはその中で発表されたレジュメです。これは自立支援介護をやると、こんなに要介護度が軽くなるのだと言っていますが、裏を返せば、一生懸命自立支援介護をやったにしても、半分の人は軽くならなかったということが証明されている。

 

もうひとつ、これはこの自立支援介護の某竹内先生という人が、某パワーリハというのを広めまして、その信望者たちの集まりが、先ほどの特養の一覧表なのですけれども、その中でも東京でいちばん熱心なところが出したデータです。これは未来投資会議のヒアリング資料として出てますので、誰でもホームページで見ることができます。つまり、要介護度が軽くなった改善者が30人いて48%だと。しかし注意してほしいのは、悪化した人が9人もいるわけですね。

 

つまり、いくら自立支援介護といっても老衰過程にある高齢者に、無理矢理いろいろな自立支援介護をやっても悪化する人もいるし、維持する人もいる。つまり皆が皆改善することにはつながっていないということが、この数字からよく読み取れることだろうと思います。

 

これも未来投資会議の中で出てきた資料で、何と要介護度5の最悪の人でも矢印のように自立支援介護をやるとギューッと伸びて、自立になってしまう。これこそ日本の素晴らしい日本式介護であると言っています。そういうことを謳い文句にしてアジアに出ていって、アジアの諸国に日本の介護を学んでもらい、施設やさまざまなノウハウを提供する。そうすると、その国の人たちが、そんなにいい日本の介護だったら、自分たちも学ばなければいけないといって、技能実習生やEPAで日本に入ってくる。そうなると日本の介護人材不足も解消される、両方にとってWin−Winの関係だと未来投資会議は言っていて、その資料として、このように自立支援介護のすばらしさを謳いあげています。

 

ところで、介護保険でいわれている自立支援介護というのは、高齢者のありようについて、わずか3分の1にしか言及していないと思います。デンマークで1980年代に提唱され、今ではほぼ国際的な高齢者ケアの基本的な考え方は、①自己決定権の尊重、本人第一主義。②残存能力の活用です。実はこの②が自立支援介護につながるのですが、③生活の継続性―これが重要なのです。日常生活の延長線上には必ず死があるし、社会参加という重要なものがある。しかし、介護保険法ではこの2番目しか強調されていないために、あたかもそれが高齢者ケアのいちばん重要なものだというように受けとめられている。これはおかしいではないかいうことですね。

 

国の社会保障制度改革国民会議では、治すばかりでなくて、これからは生活を支える医療をやらなければいけないということで、在宅医療を広めようということをきちんと述べていて、QOLの尊重をうたい上げ、なおかつQuality of Deathも射程に入れなくてはいけないとしています。

 

最近やっと老衰死亡が増えてきました。死亡率の中で老衰のウェイトが高まってきて、全体の中で今は第5位ですけれども、いずれ第4位、第3位になって、老衰で普通に死ぬということが、多くの人の共通の価値観として広がるだろうと思います。

 

介護保険法の前に、老人福祉法がありました。そこになんて書いてあるかというと、3番目に「社会的活動に参加し、仕事をするのが老人の役目である」と、いいことが書いてある。つまり先ほどのデンマークの話の3番目、日常生活の維持、社会参加ということが、老人に接する目標であると。その延長線上に満足死があるのだということですね。

 

そういうことがもっと進んでいくと期待していたのですが、残念ながら次の介護保険改定では、いい介護、自立支援介護をやったところには報酬を増やそうということが、盛り込まれることが閣議決定され、多分、法案は通ります。

 

いちばんの問題は、ディスインセンティブ。これがどういう報酬の中で組み立てられていくのかということが大きな問題であると思います。地域包括ケアの中で、死が疎んじられ過ぎているのではないか。日常生活の延長線上にQODがあるのであれば、最終的な地域包括ケアをいくところは、本人が選択した満足死であると。つまり、包括サービスを得て本人が、自分の選択の中で満足死を得ることがいちばんいいことではないかと思います。ということでWの悲劇の一席はこれにて終了いたします。

 

(発言2に続く → 発言1の下にカーソルを当てると、コンテンツが出てきます)