発言3:高木洋子(要支援当事者)

 

中澤● 次は要支援当事者の髙木洋子さんに来ていただくはずだったのですが体調を崩されたので、髙木さんが参加している全国マイケアプランの島村八重子さんが、髙木さんの気持ちを伝えるデータをつくってきてくれました。

 

島村● 島村です。今日は髙木さんが、本人の声をお届けするはずだったのですが、熱を出して来れなくなりました。それで、髙木さんから聞き書きをしてつくった本の中から、該当するような部分を抜き出して書いたものを読ませていただきます。その次に、髙木さんが、自分でつくった動画がありますので、それを見ていただいて、髙木さんが感じる自立支援というものを皆さんに感じ取っていただければと思います。

 

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 はじまり。

 

私は本当に普通の専業主婦でした。50歳のあのときまでは。

1999年の3月のある休日、いつもと変わらぬ朝でした。

2階のベランダでいつもどおりに洗濯物を干していると、いきなり倒れました。一体何が起きたのか自分でもわかりませんでした。いきなり倒れて、意識はあるものの左側がまったく動かせない。声も出ない。

病名は脳梗塞でした。

 

8か月の入院のあと、左半身のマヒという後遺症が残りましたが、杖をつきながら歩けるようになって退院しました。当時高校生だった息子のお弁当をまたつくれるようになりたい。それが目標で、病院ではリハビリを頑張って、一応ひととおりのことはできるようになり、家に帰れば普通に暮らせるつもりで退院しました。

 

でも、家に帰ってみたら、何もできなかったのです。これまで使ってきた台所でしたが、その台所は元気なときの私のためのもので、不自由な今の身体ではまったく使えるものではなかったのです。

 

介護保険が始まりました。

 

担当になったケアマネージャーは、最初に会って、開口一番、「なんでも私に言ってください」と言いました。ケアマネージャーは、よかれと思って言ったのでしょうけれど、そのときの私にとっては、「なんでも言わなくちゃいけない」と受け取れたのです。

 

3か月が経ったころから、なんとなく違和感を覚えるようになりました。

 

まず、自分の予定を誰かに立ててもらっているということに違和感があったのです。これまで自分のことは自分で決めてやってきたのに、こんな病気になったら、誰かにおまかせしないといけない人間に私はなってしまったのだというのが、とても納得できなかったのです。生活が自分とかけ離れているような気がして、ケアプランの内容が自分のものだとはどうしても思えませんでした。

 

入れ代わり立ち代わり人が来ました。私には誰が誰なのかその人たちがどういう立場で来ているのかがわからない。そして、その人たちは夫にばかり説明して、私には全然説明がなかった。蚊帳の外におかれ、全体が見えないことは私を不安にさせました。

 

全体が見えないという点では、介護保険制度の仕組みも同様でした。今日来ていたヘルパーさんにはいくらお支払いするのかというようなことが、さっぱりわからないのです。

 

私はそれまで生協運動に携わってきたので、"納得して使う"ということが身についていたのだと思います。介護保険制度をよくわからないまま恩恵だけを受けるというのは、私の今までの生き方と違いすぎる。この生き方を大切にしてきたのに、身体がこうなったら、生き方を変えなければいけないのは嫌だなと思いました。

 

介護保険制度は、自己選択・自己責任と言われています。責任は確かにとりたいと思うのだけど、自分で何も選ばないで、わけもわからないで使っていて、責任なんてとれるのだろうか。ただ一方的にやってもらっている状態では、責任をとりなさいと言われても無理なのです。

 

それならば、自分で選ぶところから責任がとれるような状態にしておきたいと思うようになったのです。第一印象は何もできないかわいそうな人なのかもしれません。でも、私はいつまでもへこんだままの自分でいたいなんて思っていなかった。

 

もっと何か違う方法がないかと思いました。納得いく方法がないかなと思って、介護保険制度のパンフレットを隅から隅まで見たのです。

 

そこにあったのが、「ケアプランは自分でたてられます」という一文。そんなことはこれまで誰も教えてくれなかったし、聞いたこともありません。でも、自分でたてれば、優先順位は1番であるし、失敗したら自分に跳ね返ってくるわけだから、自分で責任をとれる。「これだ!」と思いました。

 

振り返ってみると、私の最初の間違いは、ケアマネージャーに丸投げしたことだと思います。正確に言えば、丸投げしないといけないような気持ちになっていたことです。

 

私のことを誰かがうまくやってくれるなんてうまい話はないのに。介護が必要になるということは、自分の一生の中の一部だとすると、その一部を人まかせにすることはおかしいのではないかと、私は思うのです。

 

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今朝、高木さんとちょっとやりとりをして、高木さんが思う自立支援とは何かということを聞きました。高木さんの答えがこれです。「私たちが求める自立支援とは、本人の人生の選択肢を拡げるもの」という答えでした。次に高木さんがつくった映像をごらんください。高木さんが元気になっていく過程がとてもよくあらわれる映像です。

 

[映像上映]

 

「どんなときにも多くの人に支えられている私がいます。退院はしましたが1人では外出もままならず、家に閉じこもり、テレビのおもりをする毎日でした。訪ねてくれる誰かを待つ日々。毎日書いた手紙。自分の名宛てに来るものは、ダイレクトメールでも嬉しかったのです。料理は好きでしたが、1人で立つ台所でやけどをしてしまい、怖くなってしまいました。取り戻したかったのは、以前のような生活。期待していた介護保険でしたが、手元にあるのは自分の白紙のスケジュール帳で、他人に生活を管理されている気分から抜け出すことができませんでした。

 

マイケアとの出会いにより、自分の字で埋まっていくスケジュール帳を手に入れることができました。今まで知らなかった多くの人との出会いとともに、笑顔のある日常生活を手に入れ、多くの人に支えられている自分であることに気がついたのです。昔の私では考えられなかった積極的な今があります。出会った多くの人々へ、大切な人々へ、毎月のお便りを届けています」

 

以上です。

 

中澤● もうひとりの当事者からのメッセージを読み上げたいと思います。武久明雄さん、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、44歳のときに、脳出血を起こし、現在も四肢麻痺の状態です。本当は来ていただきたかったのですが、山形県の鶴岡市というところにお住まいなので、今回はメッセージをいただきました。

 

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普通、人は、大事なこと、些細なことにしろ、選択しながら生きている。

どんな仕事を選ぶのか、お昼何を食べようか。

介護される身になると、選択肢はごく限られてくる。

しかし、その少ない選択肢の中からも、自分らしく生きたいという思いを募らせる。

 

しかしながら、介護保険、介護サービスの中で選択する主役、主観は、

支援する側である場合が断然多い。

人は老いても、介護される身になっても、自分の人生、自分らしく生きていたい。

自立支援も介護保険も、その人が自分らしく自分の人生を送るためのもの、

その人の人生、人権を守るためにあるものであってほしいと、僕は思います。 

 

 

(発言4に続く)