発言4:中野智紀(東埼玉総合病院医師)

 

中澤●次は中野智紀さんです。中野さんは「地域包括幸手モデル」を埼玉県幸手市で展開しているドクターです。

 

中野● よろしくお願いします。今日は一臨床医の立場で、この自立支援介護について思うこと、先日『訪問看護と介護』という雑誌にも寄稿させていただいた、その内容を主に話をさせていただきたいと思います。

 

地域包括ケアとか高齢社会の話になってまいりますと、埼玉県はいわゆる県民愛が日本でもっとも薄いと言われる中で、高齢化社会が来てしまうということで、みんなおっかなびっくりしているわけです。その中で、「どうしていくんだ」という議論があったりするわけですが、人口の推計というのはかなり確実に未来を予測するといわれていて、もちろん、それはかなり信頼できるものなのだけれども、どうしても政策がそこをベースにつくられてきてしまうという、余り気づかれない問題点があります。 

 

さらにどのように供給を保っていくのかという議論の中で、国のいわゆる制度としての地域包括ケアシステムがマクロ的に進んでいるわけですが、臨床の現場でケアにかかわる我々としては、それがどう臨床の現場に還元されてくるのかというのがよくわからない。もちろん、例えば最後まで口から物が食べられるように頑張ろうとか、特定の目的において頑張られる方はいるのですけれども、要はそんな簡単なやり方でうまくいくのかという大きな問題があります。

 

健康寿命を延伸すると、いわゆる受給ギャップが起きます。では、供給量をどうやって保つのか、どのように財源を守るのかという議論の中で、健康寿命を延伸するという社会保障政策へ大きく舵を取られています。もちろん、これ自体が悪いわけではなくて、何が問題か。それをちょっと今日議論していきたいと思います。

 

これは浅川さんが書いた記事です。この背景は介護保険制度が施行されて、ちょうど最初の改定が行われる、いわゆる介護予防なるものが世に出てきたときに起こった事件を取り上げた、すばらしい記事だと思っています。大事なので読みます。

 

「2005年、当時54歳の長男が、86歳の認知症の母親の首をタオルで絞めて殺害。自身も死のうと思ったが、未遂に終わった」

 

のちに裁判で長男さんが証言しているのですが、介護自体は苦しいものだったけれども、決して苦しいばかりではなくて楽しい部分もあったと証言されています。

 

「社会福祉事務所で生活保護を申請したが、『失業給付金が出ているのでダメ。頑張って働いて』と言われた。介護サービスの利用料や生活費も切り詰めたが、家賃などが払えなくなり母親との心中を考えだす。その日、コンビニで買ったパンとジュースで母親との最後の食事をとる。思い出のある場所を見せようと車椅子を押しながら河原町界隈を歩き、そして河川敷へと向かった。直前に『もうお金もない。もう生きられへんのやで』『すまん、ごめんなさい』と泣きながら母親に声をかけたと言う」 

 

「京都地裁は2006 年7 月、長男に執行猶予付きの『温情判決』を言い渡した。担当した裁判官は、判決を言い渡した後、『裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている』と述べた。そして『お母さんのためにも、幸せに生きていくように努力してください』との言葉には、長男が『ありがとうございます』と応え、涙をぬぐった。しかし、この裁判の8 年後、長男は琵琶湖に投身自殺した」。

 

何が足りないのか。どうして彼らのそばに、ふたりでは抱えきれない問題を一緒に背負ってくれる人たちがいなかったのか。そして、それを提供できなかったのかというのを強く考えさせられ、生活問題、あるいは生きることの困難さと複雑さ、あるいは多様性というものを、非常に強く感じさせられる問題でした。

 

先日、私は宮崎に講演に行きました。地方のタクシーの運ちゃんは非常にユニークで、おしゃべり好きです。たまたま乗ったタクシーが、どうもタクシー協会の会長さんだったらしくて、いろいろお話ししてくれて、聞きたいわけではないのですけれども、いろいろな話をしてくれるのです。でもおもしろいから聞いちゃうのですね。

 

その運ちゃんが先日、小倉の会合に行ったというのですね。どんな会合か聞いてみたら、女性がお酌をしてくれる会合です。75歳だと聞いたので「いいですね、女性のお酌なんて」と言ったら、実は65歳のときに胃がんで全摘をしているというのです。入院時に相部屋だったのはほぼ同じ年齢の方で、同じときに全摘をしたんですが「あいつは、俺が飲んでいない薬を1錠飲んでいた」と言うんです。「俺はあいつに言おうと思ったのだけれども、言うまいと思って。そしたら、去年死んだ」と。

 

人生はすごい複雑で、なるほどなと思って帰ってきたら、今度うちの父親が倒れました。そして、やっとこのワンちゃんの話になるわけですけれども。このワンちゃんは、私が訪問診療に行った先で生まれたワンちゃんです。なぜ生まれたかというと、このお宅はブリーダーをされているからです。このブリーダーのご夫婦は結婚した当初から、ブリーダーを志されて生業としようと思って、夜バイトをしてお金を貯めながら、ブリーダーを生業としてきたわけです。

 

糖尿病病室の旦那さんが私の患者さんで、その上、脳梗塞を起こされたり、肺炎を起こされたりしながら入退院を繰り返し、最終的に在宅になりました。もちろん、旦那さんは家にいたいという理由が建前ではありますけれども、実際にはやはりお金がないからということになります。訪問診療をやっていると、そういう現実を突きつけられたりします。かといって、不幸せかというとそんなことはなくて、奥さんと今まで話したことのない話とか、旦那さんがこういう人だったということに、奥さん自身が初めて知ったという夫婦のコミュニケーションの中で、いろいろなことに気づかれて、本当に幸せだったと、のちに奥さんは述べられておられます。

 

実はこのタイミングを見計らって、我々にとって大変光栄だと思っているのですけれども、奥さんは大きな告白をしようと思っています。これがまさにそのシーンで、でも余りにもワンちゃんがかわいいので、イヌの話ばかりしてしまうのですが、イヌではなくて俺を見ろと怒られるわけです。実は奥さんは介護とブリーダーの自営業の両立は困難で、閉めようという話になるわけですが、この間、半年ぐらい悩まれているわけですね。

 

奥さんが何を言おうとされているのか、旦那さんはわかっている。奥さん一言おっしゃいます。「このパグね、この子、来週さよならなのよ」と。この間、どれだけのコミュニケーションが無言のうちにとられていたのかを推し量ることはとてもできないわけですが、旦那さんは一言わかったとおっしゃって、家業を閉じられたわけです。

 

私は臨床医ですから、介護保険の制度とか国家の財政という話は、基本的にはどうでもいいのです。現場で何が起きているのかといえば、こういう方々に伴走しながら、何がよいのかなんか誰もわからないし、もしわかっているとしたら、それは多分、間違いなんですが、日々、お互いに話をしながら、生きる方向性をどうやって見つけたらいいのか、どういうことがいいのか、でも、やってみたけれどもうまくいかなかったという繰り返しの中で、少しずつ生きる方向性が見えてくるわけです。それが我々のケアという仕事です。

 

今回、自立支援介護ということが言われ、身体的機能改善というところに限定されてしまい、それが悪いということではもちろんないわけですけれども、我々にとっては、余り役に立たない話だと思っています。もちろん、ADL、IADL、特に和光市に関してはIADLに言及されて、機能改善していこうとしています。これ自体は決して悪くないし、とくに我々医療従事者の中の熱意ある方にとっては、非常にフィットする話で、むしろ一生懸命やろうという話になります。ただ、その方向性が、先ほど島村さんが朗読されたように、本人の生活的価値の路線に乗っているのか、あるいはお互いが相談しながら、共に見つけていった答えなのか。

 

もちろん、財政の話をすると負けてしまうのですが、現場ではそういったいわゆる参加のレベルで、その方々の生活的価値をどう実現していくのかということが、主たる自立支援ということになってくるわけです。そのときに、環境因子たるいわゆる介護保険から、一方的に自立、つまり身体的機能改善、心身機能、構造や活動の改善を強いられた場合、どのようなことが起きるのか。通常は「介護保険はいらない・使わない」という話に、たぶんなるのだろうなと、現場感覚では思います。

 

使わないでいられるのだったらいいわけですが、実はうちの父親がこれから介護保険の申請をすることになるのですが、自分の中でどうしたらいいかと考えて、ひとりで抱え込めるものだったらいいのだけれども、それが抱えきれないとき、誰かにいてもらえないと困るわけです。とはいえ、じゃ、リハビリをやりましょうといったら、こいつ、何もわかっていないなみたいな話になるわけです。

 

私が非常に臨床の立場として共感させられたのは、山谷の地区で日雇い労働者の健康支援をされている、油井さんという方の自立支援に関する言葉です。

 

「私たちが、誰かを自立させるなどということが、本当にできるのでしょうか。私の理解では、自立とは自立しようと意思する方々が使うべき言葉であって、誰かの都合で自立させられるとしても、それは自立ではないということだと思います。自立とは本人の生活的価値の実現であって、それによって一丁上がりみたいな話ではなく、さらにケアを打ち切られたり、安上がりになったりする話とは違うわけです」

 

私が臨床の立場から一言申し上げたいと思うのは、自立及び自立支援の議論は、本人の価値や本人の利益に基づいて議論するべきだというメッセージで終わらせていただきたいと思います。

 

(パネルディスカッションに続く)